③「照見五蘊皆空」~「度一切苦厄」解析
こんばんわ。バリピルです。
前回、「観自在菩薩」「行深般若波羅蜜多時」
まで進んだので、
次に進もうと思ったのですが、この解釈を
「観音さまが、彼岸に渡るための深い知恵の修行をしていた時、」と、しましたが……、
おい!「修行」って何の修行だよ?
(♯`Д´)=○)゚з゚)・∵!ごもっとも!
…という、温かい指摘をいただいたので、「修行」について少し。できるだけ現代の私たちにも解かるような、その修行について書こうと思います。その修行内容とは
※(布施)=見返りを求めない。
※(持戒)=ルールを守る。
※(忍辱)=人の言葉に惑わされない。
※(精進)=繰り返し続ける
※(禅定)=自分を見つめる事。
※(智恵)=智恵を磨き実践する。
(●´∀`●)
できるだけ解かり易くしたらこうなります。
これら六つの事を「六波羅蜜」といいます。
ろくはらみつ
この六波羅蜜を習得することが、
「修行」になります。
中には私たちでも、
できそうなコトもありますよね!
興味があれば出来そうな(無理せずに)コトは日々の生活に取り入れて心がけるのも良いと思います。
・ちなみに、あなたがこの修行を実践すれば、今日からでも自分を「菩薩」と名乗れます。書き忘れましたが、
修行中の人を「菩薩」といいます。
(*´д`*)…ハァハァ・・
それでは前回の続きを。今回は、
「照見五蘊皆空」
しょうけんごうんかいくう
照見は字のごとく「見る」コトです。
そして!'`ィ(´∀`∩)!
般若心経の中で非常に大切な言葉は
照見の横にある、
「五蘊」(ごうん)
初耳の方もいると思います、五蘊とは、人間を構成している5つのものです。本文でも沢山登場しますが…、
図に表すと、見ずらいと思いますが
色(しき) 受(じゅ) 想(そう)
行(ぎょう) 識(しき)
この5つが「五蘊」です。
図には「色」だけ、離れて左の人にくっ付いてますね。何故かというと「色」だけ、目に見えるものだからです。「色」は物質ですが、変わりゆく物として体にしました。
「受」「識」「行」「想」は内面的なものです。
この4つは、
文字通りのイメージで良いでしょう。
例えば、日光を『受』けて何かを『想』い、認『識』します。というように。ただ
『行』は決断になります。
※先程も書きましたが、この5つで
人間が構成されているのです。
\_( ゚ロ゚)ここ重要!!!!!!!
「色」は形のあるもの、
それ以外の4つは形のないもの
それが「五蘊」としておきましょう。
そして次に続く「皆空」かいくうは
すべてが「空」(くう)であるということです。
おや?何かおかしくなってきていませんか?
ひとまず置いといて、次に進みます。
※「度一切苦厄」(どいっさいくやく)
「度(度す)」は救う。
「一切苦厄」はすべての苦しみや厄災です。
※さて、ここで全てを繋げてみますと、
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時」
「照見五蘊皆空」「度一切苦厄」
※「観音さまが、彼岸に渡るための修行をしていた時、人の体も心も全部が(空)であることを発見されて、人間のすべての苦しみを救ってくださった」
…となりました。
実は「般若心経」の主文はこの25文字に集約されていると言っても過言ではないそうです。(でも…)
このあとの文は、このコトを手を変え、品を変え説明しているだけのようです。(でも…)
すなわち「空」がわかれば「般若心経」は会得したことになるという事らしいです。(でも…)
(#゚Д゚)ワカラン!
「空」!
(PД`q。)エーン!
私のような凡人以下の馬鹿に、この時点で『空』を完璧に理解することなんか、一生かかっても無理です。この先には「無」だってあるし…舎利子もまだ登場してないし…
…。゚(PД`q。)゚。だから続けまぁす!
(次回あります)
※…そしてもう1つ。昨今、「般若心経」自体が根底を覆す嘘であり、大きな間違いであり、デタラメであるという事を証明されている人や、情報が広がっています。
そしてガッカリされている人も増えていると聞きます。
私自身はソレに対して、
否定するつもりもありませんし、
論破していただいても構いません。
ただ、ドレが本物で何が偽者かって、そんなに必要なのでしょうか?その人その人がどう受け止めるかであって、
実際どうでもいいと思います。間違いが解かっても、好きなコトに変わりはありません。
中には、「色即是空」「空即是色」が大間違いだという完璧な見解もありました。だからどうしたのでしょう?
私は無宗教ですし、「色即是空」「空即是色」を、身体に彫るほど好きです。なので人それぞれだと思います。
有名なミュージシャンの雅さんも背中に「般若心経全文」を彫り、活躍されています。
なので、変わらず続けて行こうと思います。最後長くなりすいません。長文乙です。