⑩「無苦集滅道」~「依般若波羅蜜多故」解釈
(*´~`*)こんばんわ。バリピルです。
いよいよこの「般若心経解析」も、折り返し地点まできました。毎回色々あり過ぎて…「これまでの過程は忘れた」もしくは「着地地点ドコ?」と、思われますが…最後には無事着地できるように、
巻きます。←え?巻く?
それでは始めます。┣¨┣¨┣¨三(;゚Д゚)
前回の「悟りに対する無知もないし、無知がなくなることもない、ついには老と死もなく、老と死がなくなることもない。」
、の続きです。
1無苦集滅道 むくしゅうめつどう
2無智亦無得 むちやくむとく
3以無所得故 いむしょとくこ
4菩提薩垂 ぼだいさった
↓意味
1 苦しみも、その原因も、
それをなくす事も、
そしてその方法もない。
2 知ることもなければ、得ることもない。
3 かくして、得るものもないのだから、
4 悟りを求めているものは、
5 ゆえに、智慧の「成」に住する。
前々回から連発されてた「無」から、
何やら「悟り」がちらほら出てきましたね。
(。´д`) ?…ではここで言う「悟り」とは。
「悟り」は昔も現代でも、誰しもが、
よく耳にするキーワードです。
…突然、前フリもなく、
「俺、悟り開いたわ。」
シャキーン!
と、サラッと言える人がいるほど、
「悟り」はメジャーなセリフですよね。
私の見解では、ん~、若い人は特に、
「何か」
を付けて「悟る」を使いがちです。
「社会の仕組みを悟った」など…。そして、
「~を克服した時。」
「~を察した」
に、「悟ったこと」にしがちです。しかし、
本来の
「悟り」は全く別物です。
(´゚Д゚`)!!これでもか!というほど、ココから畳み掛けるので少々お付き合い下さい。次の「悟り」に辿り着くまで、深く考えなくてOKです。
1で「苦集滅道」とありますが、「苦・集・滅・道」を仏教では「四諦(したい)」といいます。
えー!「四諦」?
(´゚Д゚`)!!では「四諦」とは。↓
①苦諦・生きるということは『苦』である
↓
②集諦・なぜ苦しむのか?それは「苦」のもとである「煩悩」を『集』めるから
↓
③滅諦・では、どうしたら「苦」を『滅』することができるのか
↓
④道諦・そのためには正しい『八正道』をふみ行なえ。
えー!「八正道」?
(´゚Д゚`)!!では「八正道」とは。↓
八正道とは
1) 正見(正しい見方)
2) 正思(正しい決意)
3) 正語(正しい言葉)
4) 正業(正しい行為)
5) 正命(正しい生活)
6) 正精進(正しい努力)
7) 正念(正しい思念)
8) 正定(正しい瞑想)
252T追ったわ。
と、なります。以上★
(*`Д´*)オイッ!チョット!
1の苦集滅道って…
意味多すぎないか?
NoNoNo(゚ ェ ゚)b゙
意味は多いですが、
1をもう一度見て下さい。
無苦集滅道です。
↑無がついてます。
そうです。長たらしい苦集滅道、無くて良いのです。さらには、2では知らなくても得なくても良いとまで書いてありますよね。何故意味を並べたのかというと、
※「悟り」に目的や理由は要らないのです。というより、「何かの為に悟る」などは「悟り」じゃありません。それくらい難しいのです。般若心経の「悟り」は。
ハッキリ言って、
無我っす。
ドラゴン藤波ではありません。
「我」も無くさないと駄目なのです。
もともと仏教に「我」の概念はほぼ無いし。
そして、
4菩提薩垂↓
得るものもない悟りを求めてこそ、
5智慧の成就になるのです。
↑この智慧とは・①や②で解析した、
此岸から彼岸へ渡るための智恵の事です。
ようやく話が繋がってきました。
4の菩提薩垂(ぼだいさった)も、
③の解析で書いた通り、六波羅蜜を実践していれば、誰でも菩薩になれます。シャーリーも「じゃあ余裕じゃね?」と思うでしょう。
┣¨キ(*゚Д゚*)┣¨キ
※さていよいよ次回、涅槃の登場です。
今回もありがとうございました。
長文乙です。