バリピル宇宙はじめました。

宇宙空間での生き方を綴ります。嘘です。

⑩「無苦集滅道」~「依般若波羅蜜多故」解釈

 

(*´~`*)こんばんわ。バリピルです。

いよいよこの「般若心経解析」も、折り返し地点まできました。毎回色々あり過ぎて…「これまでの過程は忘れた」もしくは「着地地点ドコ?」と、思われますが…最後には無事着地できるように、

 

巻きます←え?巻く?

 

それでは始めます。┣¨┣¨┣¨三(;゚Д゚)

前回の「悟りに対する無知もないし、無知がなくなることもない、ついには老と死もなく、老と死がなくなることもない。」

、の続きです。

 

1無苦集滅道  むくしゅうめつどう

2無智亦無得    むちやくむとく

3以無所得故    いむしょとくこ

4菩提薩垂     ぼだいさった 

5依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみつたこ

    ↓意味

1 苦しみも、その原因も、

  それをなくす事も、

  そしてその方法もない。

2 知ることもなければ、得ることもない。

3 かくして、得るものもないのだから、

4 悟りを求めているものは、

5 ゆえに、智慧の「成」に住する。

 

前々回から連発されてた「無」から、

何やら「悟り」がちらほら出てきましたね。

(。´д`) ?…ではここで言う「悟り」とは。

 

「悟り」は昔も現代でも、誰しもが、

よく耳にするキーワードです。

…突然、前フリもなく、 

「俺、悟り開いたわ。」

 f:id:uchu5213:20170919204357j:plain  シャキーン!

と、サラッと言える人がいるほど、

「悟り」はメジャーなセリフですよね。

私の見解では、ん~、若い人は特に、

  「何か」

を付けて「悟る」を使いがちです。

「社会の仕組みを悟った」など…。そして、

 「~を克服した時。」

  「~を察した」

に、「悟ったこと」にしがちです。しかし、

 

   本来の

「悟り」は全く別物です。

 

(´゚Д゚`)!!これでもか!というほど、ココから畳み掛けるので少々お付き合い下さい。次の「悟り」に辿り着くまで、深く考えなくてOKです。

1で「苦集滅道」とありますが、「苦・集・滅・道」を仏教では四諦(したい)」といいます。

えー!「四諦」?

(´゚Д゚`)!!では「四諦」とは。↓

①苦諦・生きるということは『苦』である
  
②集諦・なぜ苦しむのか?それは「苦」のもとである「煩悩」を『集』めるから
  
③滅諦・では、どうしたら「苦」を『滅』することができるのか
  
④道諦・そのためには正しい『八正道』をふみ行なえ。

えー!「八正道」?

(´゚Д゚`)!!では「八正道」とは。↓

八正道とは

1) 正見(正しい見方)
2) 正思(正しい決意)
3) 正語(正しい言葉)
4) 正業(正しい行為)
5) 正命(正しい生活)
6) 正精進(正しい努力)
7) 正念(正しい思念)
8) 正定(正しい瞑想)

f:id:uchu5213:20170920135518j:plain252T追ったわ。

と、なります。以上★

 

(*`Д´*)オイッ!チョット!

1の苦集滅道って…

意味多すぎないか?

 

NoNoNo(゚ ェ ゚)b゙

意味は多いですが、

をもう一度見て下さい。

無苦集滅道です。

↑無がついてます。

そうです。長たらしい苦集滅道、無くて良いのです。さらには、2では知らなくても得なくても良いとまで書いてありますよね。何故意味を並べたのかというと、

 

※「悟り」に目的や理由は要らないのです。というより、「何かの為に悟る」などは「悟り」じゃありません。それくらい難しいのです。般若心経の「悟り」は。

 

ハッキリ言って、

無我っす。

ドラゴン藤波ではありません。

f:id:uchu5213:20170909191924j:plain

「我」も無くさないと駄目なのです。

もともと仏教に「我」の概念はほぼ無いし。

 

そして、

4菩提薩垂↓

得るものもない悟りを求めてこそ、

5智慧の成就になるのです。

 ↑この智慧とは・①や②で解析した、

此岸から彼岸へ渡るための智恵の事です。

ようやく話が繋がってきました。

 

4の菩提薩垂(ぼだいさった)も、

③の解析で書いた通り、六波羅蜜を実践していれば、誰でも菩薩になれます。シャーリーも「じゃあ余裕じゃね?」と思うでしょう。

 

┣¨キ(*゚Д゚*)┣¨キ

※さていよいよ次回、涅槃の登場です。

今回もありがとうございました。

長文乙です。