バリピル宇宙はじめました。

宇宙空間での生き方を綴ります。嘘です。

「命を懸けて」

f:id:uchu5213:20171003153407j:plainバルピルです。

こんばん綿毛アレルギー。

 

今回は瞑想について。

 

瞑想は簡単にできる」

最近、そんな活字をよく目にします。いまでは色んな瞑想のかたちが確立され、その効果も様々ですが、私の瞑想に対する思いは軽くはありません。

 

最近の「瞑想」についての受け取られ方は、「誰でも簡単にできる」

「簡単な瞑想」に、目がいってしまいがちで、「楽になりたい瞑想」

と思われがちです。それもアリなのですが、今回は敢えて、

「人生を賭ける」くらいの「真実の瞑想」について書こうとおもいます。

 

私たちは苦しい経験をする前に、それを避けたいと思うわけですが、普通それを完全に回避するのは不可能です。それが初めからできるという人は、

「煩悩をまったく持たない存在」

だけです。それ以外の人はまず経験から学ぶのです。

 

しかし、全てを経験から学んでいては、「人生」という短い時間では全く足りません。骨折したら痛いかどうか解かるために、あえて自分で骨を折るわけにもいきませんし、他人の勧めに従って好きでもないコトを10年も20年もやってから、「やっぱり興味がなかった。時間を無駄にした」というわけにもいきません。それこそ人生の大事な時間を無駄にしてしまいます。

 

経験から学ぶというコトは、あらゆる苦楽を逐一味わうという意味ではなく、起こるべくして起こった個々の出来事から。普遍的な法則を知るということになると思います。

ただし、これは本人が学ばなければいけません。例えば、親が自分の子供の為を思い、親である自分の経験を押し付けてもうまくいきません。たとえうまくいったように見えても、別のところで歪みが生じるでしょう。そういう意味では

 「可愛い子には旅をさせろ」とか、「若いころの苦労は買ってでもしなさい」ということわざが、子供自身による経験と学びの大切さを教えているかと思います。

 

あなたはあなたの人生を生きなければなりません。

たとえ誰かのアドバイスを受け入れたとしても、その受け入れる決断をしたのはあなた自身であり、人間としての自由であり、自信の根本なのです。

↑こうした「自業自得」(←悪い意味の方ではない)という根本的法則があります。これもまた経験を総合して学ぶことかもしれません。しかし先程も書いたように、人生全てを賭けて、ただ「自業自得」を知ったというだけではあまりにも無駄が多すぎです。そんなコトをしていれば、人生は瞬く間に終わってしまいます。

※その苦楽の経験、たいていは苦ばかりの経験をもっと早く済ませられないかと、その昔、インドでは数百年前をかけて探求が行なわれてきました。苦の経験を早く消化するために、過酷な苦行を行なえばよいと考える人たちが現れたのです。しかし物事はそんなに単純ではない、そんな表面的なことだけでは解決しないと、仏陀は見抜いたのです。そして彼らは瞑想を行ないました。苦の経験の原因となるものは、心の奥底にあると洞察したのです。まだ経験としてその結果を味わう前に、何とか原因の段階でその芽を摘むことはできないだろうかと、心をつかって実験と観察を試みました。そして、この世の経験では

一生、何生涯もかかって消化しなくてはならないものを瞑想で取り除くことができることを発見しました。瞑想をという方法で普遍化したのです。瞑想も1つの経験であることに違いはありません。しかし、何十年もかけて「結果」を目の当たりにしてから実感する人生の智恵を、瞑想の経験では、苦という結果を味あわないままに、物事の本質を見抜いた智慧として身につけることになります。

それは、「言われた通りにしておけば多分いいんだろう」

という実体験を伴わない頭だけの理解とは対照的に、完全に腑に落ちた真実の智慧として体得されます。

ですから、瞑想によって本質を見抜き、解決した問題はその後の人生においても全く問題になりません。そのような確信、悟りが生まれます。それは執着を手放せたということです。

ただ、「じゃあ瞑想しとけばいいか」という軽い気持ちでは、簡単にいくものではありません。それでは、他人に「瞑想は良いよ」と言われてやっていることになんらかわりはないのです。

 

では具体的な方法を書いていきます。その方法は、問題とそれを構成する心の要因を、内的に客観的な視点から分解し、原因を心のなかに見つけ、それを除外するというものになります。

 

瞑想では、心の表面で感じられる苦しみをつぶさに観察をし、原因を探りながら葛藤して取り除かなければなりません。また冷静に客観的に、苦しみの原因

である執着や煩悩も取り除かなければならないのです。

これはなかなか難しいことです。目を閉じて、しばらく経ってから目を開けたら終わっていたというわけにはいかないのです。

瞑想を行なうには、相当な心の強さが必要です。不動心・やり遂げる熱意・勇気、冷静な知性です。いずれも日常での生活のあり方、特に行動と言葉と思いに十二分に注意して規律をもって生活することから、心を静めるための努力を怠らないこと、が必要です。そうして、研ぎ澄まされた感性・意志をもって果敢に苦の根本原因=煩悩へと挑みます。常に変化する「心」を相手に、果敢に立ち向かうのが瞑想なのです。

これらをもって、

勝つか負けるか分からない人生の勝負に挑む

それが真の瞑想です。

 

「こんなに意識しないといけないのか。」

とおもわれる人もいることでしょう。

しかしこれらを知ることで、

「瞑想」とは、

命を懸けるに値するものだと、

自信をもって挑んでいただきたいと思うのです。

 

ありがとうございました。